正直いって、最近のあらゆる本は意味もなく 3.11 大震災を持ち出しすぎだと思う。「アーティストのためのハンドブック」でも、大震災によりアーティストの意義が変わったとかなんとか訳者解説にある。変わってないって。ショックだったのはわかるけれど、それで自分が何かえらくなったような気分にひたってはいけない。それは高校くらいに、はじめて社会の役割とかこの世の不正とかに気がついて「世界はどうあるべきか」なんて考えはじめたとき、ついつい自分がえらくなってだれも気がつかなかった真理に気がついたように思ってしまうのと同じだ。「もっと人々が分かち合えばいい社会になるのだ!」とか「大人は強欲で汚い! もっと心を大事にする社会にしなければ!」とかね。
あの震災でもそうだ。あれを期に初めて社会の仕組みとか公共の役割とかに思いをはせた人々は、何かそれで自分がすごく深遠なことを思いついて、だれも考えていなかったことを自分が考察しているかのような気分になって、舞い上がっている例が多々ある。「もっと人々が分かち合えばいい社会になるのだ!」とか「大人は強欲で汚い! もっと心を大事にする社会にしなければ!」とかね。
でも、やがて高校生たちもわかるように、実は自分が考えたことの大半は、とっくに誰かが考えているのだ。そして自分の考えの相当部分は、浅知恵にすぎないのだ。きみたちは何も変わっていない。おたおたしただけで、それに安住しただけでかえって愚かになっている。でも、震災で何か深遠なことを考えたつもりの人々の多くは、高校生とちがってバカにされて成長する機会を持てないまま、そうした認識に到達せずに終わってしまっている。
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『みんな仲良く』
と、担任の先生は言った。
ほのぼのした響きのスローガンではあったが小学生の僕らにとっては重すぎる命題だった。
仮に『みんな仲良く』の定義が
『全員の人間関係が良好な状態で保全され、同時に積極的な交友を持っている状態』
であるとするならば
おそらく担任の先生でさえも守れてはいないだろう。
教員の退職理由もほとんどは人間関係が理由だと聞く。
担任の先生どころか、校長先生も、文部科学大臣も、国家も、
有史以来『みんな仲良く』できた人間がどれほどいただろうか。
でも、僕は今でも小学校の先生の教えを信じていて
人と人は必ず分かり合える、と思っている。
だけど、そのためにはお互いを知るためのコミュニケーションの機会であったり
時間であったり、とにかく膨大なコストが必要だ。
全員と『仲良く』していくには、人生は短すぎる。
人間は千差万別で、どうしても相性のようなものはある。
どちらかが一方的に悪い、という問題でもない。
ウマが合う人もいれば合わない人もいる。
端的に言って、仲良くできない人とまで無理に『仲良く』する必要は無い。
嫌いな奴はいてもいい。
ただ、どんなに嫌いな奴がいても、
その人の意志や人格や個性を尊重した上で人間関係を構築するべきだ。
あとは社会生活をおくっていく上で
無用な争いはしないように、最低限の協調性ががあればいい。
『みんな仲良く』しなくていい。
嫌いな奴はいてもいい。
誰かに嫌われてもクヨクヨしなくていい。
君は君のままでいい。
318 名前:(‘A`) 投稿日:04/10/20 18:30:32
昔々、マリアという女がいました。旦那とは金目当てで結婚し、
セックスしたくないため「処女を守るため」と言い訳をしていました。
しかし、セフレとはやりまくりだったので、
とうとう妊娠してしまいました。ずっと処女と言ってるだけに、
旦那にはどう説明するか迷いました。
マリアは悩んだ挙げ句、ある考えが浮かびました。
神から授かった子ということでどうかと。
みんな納得してくれたため、そのまま育てていると、
息子は本当に自分が神だと思う勘違い野郎になってしまいました。
そのせいで息子は処刑されましたが、
何故かヨーロッパ最大の宗教になり、世界に広がりました。
そして息子の誕生日は世界中でお祝いされました。
2000年後の極東の島国では、その日は若い男女がハメるための
大イベントになりました。ヤリマンの魂は今でも受け継がれています。
2004-10-28 - 夏の葬列 (via plasticdreams)
2009-06-01 (via gkojay)
2011-10-14
(via gkojax-text) (via yaruo) (via kawa3) (via sai10t)
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